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カラダという書物

対談者:φ・Ω
2014年12月6日~

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Ω:百面相のカラダってどうなってるわけ?

 

φ:なんの挨拶もなしに、急にはじまるんだ。

 

Ω:なんというのかな。自己主張の強いカラダじゃ、百面相なんてできないわけじゃない。かといって存在感をなくすというのも違うのかなと。どんなカラダ感覚をしてるのか、知りたいわけよ。

 

φ:いいえ、存在感をなくす感覚でいいのよ。

 

Ω:存在感をなくすだけで、ひとり何役もこなせちゃうわけ。

 

φ:なんか女優と勘違いしてないかしら。私は馴染み感覚を大切にしているんだけど、それは演技とは違うとおもうの。カラダって、流動的というか、場の雰囲氣で分母が変わるものでしょう。朝陽を浴びているカラダと夕陽を浴びているカラダというのは、おなじ陽の光を浴びていても、まったく異なるカラダになるし。夕焼けを経験した澄んだカラダが私を引き寄せると云ったほうがよいのかな。

 

Ω:似たようなことがたしか『カラダという書物』に書いてあったよ。

 

φ:笠井叡さんのね。私は『天使論』のほうが好きだけど。私のこと、百面相って云ってくれる人がいらっしゃるけど、カラダ感覚は少ないとおもう。というより、感覚や記憶をあえて減らしていると云ったほうが正確かしら。『カラダという書物』的な表現をするならば、三歳までの「神話的なカラダ」を大人になっても維持したいといった感じなのかな。

 

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Ω:三歳までに母語でもって過剰な記憶を強いると、その子のカラダにとってのちのち障害になるってやつか。あれ、本当なのかな。今さ、日本語よりも英語を先に習得させようとする親が増えていて、幼児のアメリカンスクールがキャンセル待ち続出らしいのよ。母親の乳から母語を伝えるっていうのは基盤中の基盤なのに、いよいよ日本は滅びるね。神話的な言葉とカラダが同時に絶滅する。

 

φ:日本なんてとっくに滅びてるじゃない。太平洋戦争で敗れたからじゃなくて、もう明治維新のときに、自分たちで自分たちの文化を毀しきっちゃったでしょう。日本史から視るんだったら、日本人の神話的カラダは呉服屋によって企てられた明治維新で完全に潰えたというのが正確だとおもう。

 

Ω:でも、そのあとにも、結構たしかなカラダをしている人がでてきているんじゃないか。浅田次郎さんが好みそうだけど、仕立て屋銀次なんて、あれは本物っぽい。いつ掏られたかわからないスリなんて、相当な百面相ぶりだよ。

 

φ:『天切り松闇語り』のことを云っているの。

 

Ω:いやいや、史実でもねってこと。

 

φ:そんな長生きしてないでしょう。そしたら、凡て編集よ。私は明治維新以降の日本文化っていうのはまったく信じないな。だから、茶道具も凡て江戸以前のものを愛でるようにしているし。明治以後のなんだろう、藝道・禅・着物あたりは等しく嘘に決まっているわよ。もちろんカラダもね。だいたい『天切り松闇語り』で百面相の話をするなら、書生常次郎じゃないの。

 

Ω:ああ、いたね。目細の安吉親分に「あれで男氣がなかったら、ほとんど化物だな」って云わしめた。でも、書生常あたりだったら、φのほうがカラダ的に神話がかっているんじゃないの。皆に云えないのが、ホント辛いんだけど、過日のやつも凡てひとりでやったんでしょう。

 

φ:まあ、ひとりというか、たくさんの私ね。

 

Ω:そうそう! その「たくさんの私」感覚が私も欲しい。

 

φ:あげない。

 

Ω:たのむ、この通り。

 

φ:複眼の冬空。あとは編集長なんだから、カラダで編集なさってくださいな。

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